ソーシャルイノベーションとブロックチェーン

Facebookが席巻してソーシャルメディアが当たり前となった。

従来の人間関係を変えた。

 

今やクラスの名簿は同報型のLineへと進化した。

 

Youtuberに代表されるような今までの情報の消費者が表現者となり、広告を中心に社会とメディアの関係を変えていった。

 

購買行動もこうしたソーシャルに依拠したものに変わってきている。

 

政治と市民もこの流れに抗うことはできない。ジャスミン革命ソーシャルメディアの力によって国家が転覆した。世論形成の道具としてのソーシャルメディアは米国大統領をはじめとして重要な役割を果たしている。

 

いいね!の回数から支持率を確認し、自らの意見がマジョリティか否かを確認して行動を正当化される。

 

こうした流れは、さらに進化を遂げていく。

 

Blockchain

センター不要

 

ブロックチェーンの技術的背景は大したことない。ただ、ビットコインを生み出した背景は壮大なテーマを解決しようとしている。

 

ブロックチェーンが包含している概念とは

銀行などの中央がいなくても流通可能な通過を作る

改ざん、不正をする人がいても改ざんできない仕組みとする。

※これらをsatoshi nakamotoの論文から導き出す。

 

そしてそれらが技術的な実現性、そしてその実現がもたらす社会変化の可能性に驚愕した。すなわち、今まで当たり前だと思っていた銀行の存在、政府の存在を否定してもシステムとして存在しうるという社会システムの誕生を意味した。

こうしたシステムを使えば、社会の様々な問題を解決できることが期待されたのである。

例えば、センターがいないことでセンターに搾取されていた様々な行為が低価格で提供されるようになった。

送金手数料が安くなったことで、頻度高く送金ができるようになった。先進国に出稼ぎに出ている人が本国の親に少ない搾取で送金可能になった。

自国の通貨安に直面した国民が自国通貨を捨てて他国通貨に乗り換えるのが容易になった。(自国通貨運営から離脱可能になった)

低価格の通貨サービスは、クラウドファンディングやマイクロペイメント、寄付、などを気軽に行える。

これにより、ちょっとだけでもいいから頑張れって言う意思を乗せて寄付ができるようになった。これにより、投票行動としての寄付ができるようになった。

 

証券会社の手数料によって維持されていた投資活動が低コストで実現できるようになった。会社を購入するのではなく、その製品の所有権(所有権からもたらされる利用権)を容易く持てるようになった。

地下アイドルを応援(推す)行為が、所有権保有として機能するようになり、人気が出てきて寂しい思いをすることなく、投資行為(初期段階ではベンチャー状態)の回収としてそれらの権利を高く売れるようになった。

 

そういったことができると、例えば、公共施設が老朽化して存続の危機に瀕した時、存続運動を展開するのではなく、存続に向けた寄付活動とともに、存続した際の利用権獲得と連動し、存続に向けた寄付をしていない人(いわばフリーライダー)との差異を埋めるようになった。

 

ありとあらゆるものに価値の交換や売買、所有と転売が出来るようになると、様々なものの関係性を変えることが可能になる。

欲しいものを応援するクラウドファンディングによってマイクロな投資を行うことで、実現した時の価値を享受できるようになったりする。

 

投票行動の媒体としてのブロックチェーンはそうした社会の意思を取引することで正当性を向上させる取り組みである。

民主的な活動と経済活動という相容れない存在を繋げることで、より経済的に、かつ民主的な意思決定手段、行動手段となっていく可能性を秘めている。

 

PFIは公共と事業者(民間)と利用者の間で、公共団体と民間事業者の関係を見直したものであるが、そこに利用者も取り込んだ関係に昇華させているのがブロックチェーン活用になる。

 

 

取引記録が残る通貨

美味しい野菜が食べたい、自分が望む栽培方法をして欲しい。提供側が応じてくれないと実現できないことだった。また約束は反故されることもあった。

どんな野菜を望むのか、それを支援したいのか、その期待は裏切られないのか、より多くの支持を得た時、自分が消費しきれない時、自由に気軽に変更できないだろうか。

記録が残り、透明性が高い取引ができれば実現することではないだろうか。